交流部会 (2012年度)


映画・演劇鑑賞交流部会 (8名)
普及能とあって、シテ(土蜘蛛の精)を宗家・金剛永謹氏、ツレ(源頼光)をご子息の龍謹氏が演じられた。上演
前には、同志社大学政策学部教授・関根千佳氏の講演があった。彼女と「羽衣」との出会い、これをきっかけに
どんどん能に見せられて、今では趣味以上のものになっているとのお話など。

能楽と言えば、幽玄を旨とし、動きが少なく、派手な演出を慎むものというのが世間的なイメージであるが、今回
は普及能であることを意識してか、決してその様なものばかりではなく、表現方法には様々なバリエーションがあ
ることを教えてくれた作品であった。それにしても、蜘蛛の糸を舞台いっぱいに次々に大量に出す仕掛けは、内
容はもとより、観客を圧倒的に楽しませてくれ、スーパー歌舞伎ならぬ、スーパー能の感があった。

能を鑑賞する前にはお茶会をした。新装成った、落ち着いた和モダンの「とらや」の茶房にて、季節柄全員くずき
りを注文。雨に濡れ緑鮮やかな庭園を眺めながら、和やかな談笑のひと時を過ごした。


フリー・トークの会 (7名)
大学婦人協会(JACA Japanese Association of College Alumnae)が194610月にドクター・ルル・
ホームズ(マッカーサー司令部民間情報部G.H.Qの女子高等教育顧問)の尽力により設立されたこと。
加盟校は(同志社女専、東京女高師、奈良女高師、日本女子大、東京女子大、聖心女学院、津田塾、神
戸女学院)8専門学校であったこと。京都支部は翌19473月会員41名にて発足。1949年にJAUWと改

称され1954年に1919年に創立のIFUWに加入したこと。加盟校はだんだん増えていったが現在のように
4年制大学の卒業生の加入が認められるようになったのは1979年だったこと。このほか京都支部が主催
した通常総会、日本で行われた第18回、第25IFUW国際会議の時の京都支部の協力、セミナー発表の
ための共同研究などのお話で、先輩たちの会に対する熱い思いとご努力を垣間見る思いがいたしました。

時代や環境は変わりましてもその熱意や努力は受け継いでいかねばと心に刻みました。その他自然エネ
ルギー、いじめ問題など多岐にわたるフリートークで盛り上がり、あっという間の3時間を楽しく過ご
しました。それにつけても若い会員が増えますことを願わずにはいられません。

              
JAUW京都支部 60年のあゆみ
                                        (敬称略)

活動       

年度

会長   支部長

      副支部長

 


設立

1946(昭21

初代会長

藤田たき

10月 大学婦人協会(JACA)設立

 Japanese Association of College Alumnae

ドクター・ルル・ホームズ(マッカーサー司令部民間情報部G.H.Q.の女子高等教育顧問)の尽力による

加盟校(同志社女専、東京女高師、奈良女高師、日本女子大、東京女子大、聖心女学院、津田塾、神戸女学院)の8専門学校

発足

1947(昭22

初代支部長

加藤さだ

329日 京都支部発足―於同志社大学アーモスト館

     (加盟校8校 会員41名)

      第1回役員会―於同志社女専デントンハウス

517,18日 第1回総会―於日本女子大

       (年度末には20支部、会員788名)

改称

 

1949(昭24

天達文子  久野文

JACUからJAUWへ改称

 Japanese Association of University Women

AAUW奨学生

 

 

 

AAUW奨学生に3名決定 久保貞子が第1AAUW奨学生に

              (ハワイに1年留学)

註 AAUWはアメリカの大学卒業生の組織で、戦時中自然消滅したその日本支部がJACAの前身である。

IFUWに加入

1954(昭29

野見山不二

     本田ミツノ

1919年創立のIFUW(国際大学婦人連盟)に加入

 International Federation of University Women

京都に招待(団体)

1955(昭32

野見山不二

本田ミツノ

(1)          フィリピン戦争未亡人10名を京都に招待

 

 

1958(昭33

山崎文子  東菊枝

(2)第8回汎太平洋東南アジア婦人会議の一行が京都訪問

    野村別邸でレセプション

社団法人

1958(昭33

山崎文子  東菊枝

41日付を以って社団法人の認可を受ける

1回通常総会―於東京女子大

JAUW奨学金

1952(昭27

谷よし   高田峯尾

久代佐智子に国内奨学金

 

1961(昭36

吉田武子 本田みつえ

村田鈴子に国内奨学生

 

1967(昭42

氏家寿子  大庭チカ

山崎京子に研究学徒奨学金

 

 

加盟校

1979(昭54

中村道子  西芳子

      高橋千夏

大阪府立女専(1948)京都大学(1954)西京大学(現京都府立大学)

1959)同志社大学(1966)京都女子大学(1967

文部省「全国大学一覧」に記載の4年制大学

通常総会

(京都で開催)

1959(昭34

吉田武子  武間富貴

2回通常総会―同志社大学

 

1987(昭61

伊東すみ子 永島美那

野口栄子

30回通常総会―比叡山観光ホテル 琵琶湖畔ツアー

 

 

2004(平16

今井けい  廣田輝子

松田栄子

47回通常総会―京都全日空ホテル 

251名参加 バスツアー1.桃山文化コース

                 2.絢爛そして侘びコース

中国訪問

1978(昭53

中村道子  西芳子

高橋千夏

日中友好婦人連絡会訪中団

団長 中村道子  京都支部より3名参加

           小野山永子、伊藤洋子、高橋千夏

 

 

活  動

年度

会長

京都支部長

 

 

国際会議

(日本で開催)

 

1974(昭48) 

大島清子

米谷昭子

副 小野山永子

18IFUW国際会議 会期 8/13~19

会場 東京 開会式(ホテルニューオータニ)

   京都 会議・日本文化紹介

参加国39、参加者941名(日本人308名)

準備委員長 高野フミ 副委員長 武間富貴

募金コンサート

1994(平7

青木怜子

中川洋子

副 阪田敦子

7/9 金丸晃子、クリストフ・モール夫妻

チェロ二重奏の夕べ 市民ホール・アルティー

(第25IFUW国際会議のための募金)

国際会議

1995(平7)

青木怜子

稲本英子

副 橋本吉恵

25IFUW国際会議 会期8/18~25

会場 横浜平和会議場(パシフィコ)と

   第一生命東戸塚教育センター

議題「女性の未来は世界の未来―生存と進歩のための教育」

参加国52、参加者835名(日本人379名 京都23名)

LAC準備委員長 房野桂 副委員長 高橋千夏

会議後のツアー参加者約100名を大覚寺で接待

ロイヤルホテルで大阪、神戸、京都会員と共に歓迎の夕食会

若手会員育成

1995(平7)

青木怜子

稲本英子

副 橋本吉恵

25IFUW国際会議で「若手リーダー研修ワークショップ」に佐賀千恵美と勝又幸子(静岡支部)の2名参加

 JAUWが財政的な支援

語学教室

1976(昭51

1985(昭60

1996(平8)

 

英会話 英国文化センター

日本語教育 「外国人のための正しい日本語」勉強会

ドイツ語教室  講師 平良玲子

講演会

1977(昭52

竹中はる子

1979(昭54

中村道子

金丸寿子

副 西芳子

西芳子

副 高橋千夏

関西4支部(奈良、大阪、神戸、京都)合同講演会

  会場 大阪

関西4支部合同講演会

  会場 奈良と神戸

 

文部省国庫補助事業 セミナー(19812004

80年代を生きる

―高齢化社会を

迎えて―

1981(昭56

山崎道子

1982(昭57

山崎道子

高橋千夏

副 久保貞子

関西地区セミナー(福井、京都、奈良、大阪、神戸の5支部)

   会場 大阪

「女性の生涯を貫くもの」 高橋千夏    京王プラザ

関西地区セミナー 会場 京都 修学院のセミナーハウス

国際理解と協力

1984(昭59

伊藤すみ子

久保貞子

副 永島美那

関西地区セミナー 会場神戸 関西学院千刈セミナーハウス

「京都と国際交流」 廣田輝子

「国連婦人の十年の評価と展望」 雇用問題

   行動計画

1985(昭60

伊藤すみ子

永島美那

副 野口栄子

「京都における婦人雇用の問題―西陣機業に働く婦人の問題をめぐって」 香山和子    国立婦人教育会館

 

「京都における婦人の社会生活」永島美那 国立婦人教育会館

新国内行動計画をめぐって

1988(昭63

中村ミチコ

野口栄子

副 伊藤洋子

「京都と女性スポーツ」 伊藤洋子  国立婦人教育会館

開発教育

1990(平2)

中村ミチコ

伊藤洋子

副 松尾景子

「環境問題学習と国際交流の実践」 高橋千夏

国立婦人教育会館

環境教育

1992(平4)

青木怜子

松尾景子

副 中村泰子

「環境にやさしい暮らしをめざして」中村泰子

国立婦人教育会館

女性と職業

―その障碍と支援について―

1997(平9

丸山庸子

橋本吉恵

益田圭子

「より組織的、より個性的な育児支援と少子化対策」

亀田和代   国立婦人教育会館

女性と情報社会

―その光と影―

2002(平14

今井けい

中村泰子

副 廣田輝子

ICT時代における総合的な学習の時間」

京都支部   国立婦人教育会館

2004年(平14)度をもって文部科学省国庫補助事業終了

 

 

 

 

その他

海外支部との

ペアリング

1992(平4

 

1995(平7

フィンランドのラーティ支部とペアリング

支部長ソニヤ氏―仏教美術研究のため京都に滞在

支部長ホンカサロ氏―第25IFUW国際会議後のツアーで京都訪問

冊子発行

1976(昭51

1984(昭59

1986(昭51

1998(平10

2004(平16

「日本文化の流れ」

「日本語教育研究―第一シリーズ」

「日本語教育研究―第二シリーズ」

「京都支部 50年のあゆみ」

「今なぜ総合的学習の時間―高度情報化時代のなかで」

募金

(国内奨学金)

2005(平17)松田栄子

     副 山崎京子

国内奨学金資金設立のため会員向け募金を実施に協力

2005620日〜2006312

支部長選出

2001(平13

2006(平18

会員所属の大学を3グループに大別し支部長選出 6年後に見直すこと

2006年の支部総会で学校枠をはずす

支部長、副支部長推薦委員会(現支部長と支部長経験者で構成)発足

名称変更

2007(平19

通常総会(福岡)で大学婦人協会を大学女性協会と変更



リサ・マッケンジーとの昼食会 (11名)
今日はJAUW京都支部の会員の皆さんにお会いでき、こうしてお話ができるのをとても嬉しく思っています。私の
研究のことをお話する前に、私の生まれ育った、いわゆる「オーストラリアの奥地」と、現在大学生活を送っている
都市ニューカッスルとニューカッスル大学について少しお話し、私がなぜ日本に関心を持つようになったかをお話
したいと思います。

私はメルボルン、シドニー、ブリスベーン、ニューカッスルなどの都市の並ぶ東海岸の背後にある山脈を越えた内
陸部で生まれ育ちました。シドニーからは700kmのところにあるクリオンと呼ばれるその一帯は、小麦、綿、そし
て勿論オージービーフなどで有名です。私は羊(後に牛)牧場と、ひよこまめ、小麦などの穀物を栽培する農場を
経営する父母と弟、妹2人の5人家族のなかで育ちました。牧場は見渡す限り山も海も見えないまっ平らな平原
のなかにあり、360度ぐるりと地平線が見渡せて、隣家までは50kmという所にありました。(オーストラリアは低
い大地が一面に広がり、少数の23千メートル級の山を除いて、起伏が小さい大陸で、平均高度は340mで
す。)夜は真っ暗で、空には無数の星が美しく輝きます。夏は40度Cになるのですが、内陸性気候で湿度は低く、
夜は涼しくなるので、京都の湿度の高いのにはまいっています。牧場にはカンガルー、エミュ、もちろん無数のハ
エと蛇、そして時にはコアラもやってきました。羊や牛の世話をし、トラクターを運転し、フェンスの修理をするなど、
家の仕事を手伝いました。学校は往復2時間かけてスクールバスで50km離れた小学校に通いました。スーパ
ーマーケットも50kmはなれたところにしかありません。小学校やスーパーのあるその町はバレン・ジャンクション
と呼ばれ、温泉で有名です。ただし日本と違い、水着を着て入りますが。

12歳になると、タムワースという、さらに家から遠い町にある中学校の寄宿舎に入りました。この学校は三重県
の中学校の英国人の先生と交流があり、いつもその学校から日本人の交換留学生が私たちの寄宿舎に滞在し
ていたので、その生徒たちと友達になり、日本の茶道、節分、千羽鶴の話などを教えてもらい、とても日本に興味
を持ち、いつか日本に行きたいと思うようになりました。

18歳になり、ニューカッスル大学(学生数30,000人、そのうち外国人が6,000人)の心理学部で勉強を始めまし
たが、アルバイト先が日本料理店だったので、日本料理が大好きになりました。在学中に6ヶ月イギリスに留学し
ましたが、その時も寿司レストランでアルバイトをして、すっかり日本のとりこになりました。帰国してからは、日本
語のクラスにも出席して、日本に対する興味はだんだん大きくなっていきました。

ニューカッスルという街は、海洋性温暖気候である東海岸沿いの、シドニーから北に150kmのところにある、人
口50万の大都市で、ニューサウスウェールズ州で第2番目に大きな街です。周囲に大きな炭鉱があり、世界で
最大の石炭輸出港がある一方、ワイン生産でも有名です。又、音楽、その他の文化面でも活発で、住民1人あた
りの芸術家の数が最も多い町でもあります。博士論文を書いていない時は、ホッケーやサッカーをしたり、近くの
ワイン農場にワインを飲みに行ったり、海辺で泳いだりします。私は子供のころは大平原の田舎に住み、今はこ
の活気に満ちた国際都市に住んでいることを、とても幸運に思っています。

さて、私の研究のことをお話しましょう。私の所属するセンターは、どうすれば生活習慣病を予防することが出来
るか(例えば、糖尿病、アルコール依存症、過度の喫煙など)、慢性の病気を持つ人たちの心理的な負担をどう
すれば軽くすることができるか、インフルエンザなどの伝染病をどのように防ぐか、化学テロ攻撃に対処するには、
などの問題を研究しています。私は癌の問題を選びました。

WHO
の発表では、2008年の癌による全世界の死者は760万人で、全死亡数の13%を占め(オーストラリアと日
本では3分の1)、2030年には26百万人になるだろうと推定されています。近年医療の進歩で癌の治療法は
著しく向上してきていますが、癌は特別な病気と皆に思われています。それは、再発、転移などのおそれがいつ
もつきまとい、死と結びついて考えられるからです。根本的な治療法が見つかっていないのが現状で、癌患者の
社会心理的負担の軽減に関する取り組みは現在大きな課題となっています。癌患者はどのような治療を希望・
期待しているのか、その希望・期待と現在受けている治療との間に差はあるのか、医師に何を望んでいるのか、
などを知った上で治療を行うことは重要です。このような患者中心の治療を行うことが病気の治癒率の向上に大
きく貢献していることは近年だんだん認識されてきています。

このような状況の中、私は2010年に、オーストラリアで、癌患者で放射線治療を受けている成人男女に対して、
患者はどのような心理的負担を感じているのか、癌の告知、生命予後の告知などをどのように考えているか、社
会や家族との関係をどう思っているのか、などを調査・研究し、それを論文にしました。この論文で私は2011
にオーストラリア首相のオーストラリア・アジア賞を受賞しましたので、その賞金を元に、この問題についてオース
トラリアと日本の国際共同比較研究を行うために、現在京都大学病院で調査をしています。

オーストラリアと日本の国際比較をするのはどういう意味があるでしょうか。両国はさまざまな点で違っています。
オーストラリアは総面積で日本の約20倍。人口は、日本の127百万人に対して、オーストラリアは2千1
百万人。人口密度は1平方kmあたり日本は336人に対して、オーストラリアは2.5人。日本は殆どが日本人な
のに対して、オーストラリアは多民族国家(白人が90%、アボリジニーが0.1%、残りの約10%はアジア、オセア
ニアなどから)で、それに伴って文化的な価値観も大きく異なっています。しかし一方、共通点もあります。両国と
も、イギリスの制度をモデルにした国民健康保険を実施している国です(アメリカにはこのような国による健康保
険制度はなく、個人それぞれが民間の健康保険に加入します)。また医療水準の面でも先進国です。このように
相違点と共通点が適当に存在する両国を比較するのは意味あることと考えています。

社会の文化的価値観、国の医療制度などがどの程度治療についての癌患者の考え方に影響を与えているかは、
ほとんど解明されていないのが現状です。私はこの研究でそれらを明らかにして、患者中心の医療を行うには何
が必要か、ということを明確にしたいと思っています。そして最終的には、癌にかかったことで受ける患者の心理
的負担をどうすれば軽く出来るかを、国際的な比較にもとづき解明し、状況を改善していくことを目指しています。

調査の方法はオーストラリアの時と同じで、対象は、癌患者で放射線治療を受けている成人男女です。患者が
放射線治療を受けに来て、待合室に居る間に、タッチスクリーン式の携帯コンピューターを使い、画面にでてくる
質問に答えてもらいます。10分か15分しかかかりません。日本の調査の場合は、患者だけではなく、放射線腫
瘍医にもアンケートを行っています。癌の告知や生命予後の告知の問題、癌患者と医師の意思の疎通(病気に
ついて認識の違い)、などについて質問します。患者・医師とも無記名で、アンケートに賛成の人に答えてもらい
ます。患者の人権、プライヴァシーは完全に守られますし、この調査結果を論文にし、公に発表することに関して
は、両大学の倫理審査委員会の承認を受けています。

9
月末には名古屋市立大学病院に移り、12月まで同様の調査を行います。11月にはオーストラリアで開かれる
国際学会でこの調査結果について京都大学の乳腺外科と放射線治療科の先生たちと共同で論文発表をする
予定です。12月には国に帰りますが、来年はまた名古屋に来て研究を続け、博士論文を完成させたいと思って
います。

今回は私の始めての日本旅行です。日本での生活を本当に楽しんでいます。人々は皆優しいし、生き方もすば
らしい。そしてなにより食べ物が本当においしいです。オーストラリアのジェットスターという航空会社が関空―オ
ーストラリア間の格安切符を出しているおかげで、親類・友人がたくさん来ましたし、(エンジニアーの)夫も2度滞
在しました。祇園祭は両親と弟と一緒に楽しみました。そのほか、富士山に登り、大文字山にハイキングに行き、
高野山、広島、東京の旅行にも行きました。この中にはオーストラリアに行ったことがある人が56人いらっしゃ
ると聞きました。どうぞできるだけ多くの人がオーストラリアに行ってくださるよう願っています。ご静聴どうもありが
とうございました。

マッケンジーさんは、オーストラリアの観光パンフレットや、コンピューターに入れた観光絵葉書をたくさん持ってき
てくださった。出席者の半数近くがオーストラリアに行ったことがあり、またお話が癌の問題なので、活発な質問
が出て、とても充実した質疑応答の時間だった。質問は、やはり多くが癌の告知の問題についてだった。オースト
ラリアと日本の相違について何か分かったことはあるかとの質問に、まだ調査途中で確定的なことは言えないが、
癌の告知、生命予知の告知の問題に関してはオーストラリアの患者の方が自己決定する率が高いのではない
かとの印象をもっている、とのことだった。患者と医者との関係については、皆さんのご経験から色々な意見が出
た。患者の精神状態を考えることもなく、無神経に癌の告知をしたという日本の医者の話などもでた。

マッケンジーさんの賞金額は、物価の高い日本で1年間、研究助手を使って研究をするのに充分な額だという。
大学女性協会の国内奨学金に応募してくる大学院生の応募理由の中に、学生に対する奨学金は色々あるが、
女性を排除しているものが多く、大学女性協会のこの制度はありがたい、というのがいくつか見られた。日本の
女性研究者の置かれている状況から見て、オーストラリア政府の若い研究者に対する手厚い支援は羨ましい限
りである。彼女の研究が成功することを祈りながら、お別れをした。