1回例会講演要旨

「ミャンマー民主化とアウンサンスーチー」 講師:大津典子元同志社大学非常勤講師    2013年5月30日

大津典子(のりこ)さんは、同志社大学英文科卒業、京都大学大学院文
学研究科仏教哲学専攻修士課程修了、ロンドン大学アジア・アフリカ学
研究所に留学。同志社大学、龍谷大学の元非常勤講師。著書に『アウン
サンスーチーへの手紙』、『モスクワの女たち』、『乳がんは女たちを
つなぐ―京都から世界へ』などがある。大津さんはアウンサンスーチー
さんの長年のご友人。この4月にアウンサンスーチーさんが日本政府の
招待で来日された時、京都での滞在中はずっとお世話をなさった。これ
を機会に大津さんにスーチーさんのことを話していただいた。以下はそのお話の要旨である。

アウンサンスーチーとの出会い
私とスーチーとの出会いは、1974年、私がロンドン大学のアジア・アフリカ研究所でチベット語を学んでい
た時に始まる。(私は日本では僧侶の免許を持っている。チベット語を勉強して、チベットの尼僧院に入って
一生を送ろうと思っていた。)スーチーのご主人はマイクル・アリスさん。彼はチベット語の専門家で、ブー
タンの若い国王の英語の家庭教師を勤めながら、ブータンの歴史を研究していた。私の指導教授の研究室で
、彼は私に、「僕の妻はビルマ人です」と初対面の挨拶をした。その後私の夫がオックスフォード大学に移っ
たので、オックスフォ−ドに引っ越したが、そこで、同じようにオックスフォードに移っていたマイクルと
偶然再開し、1週間後にご夫妻に会うことになった。初めてスーに会った時、彼女はこの世のものとも思わ
れないほど美しく、凛とした感じで、挑戦的な態度で、にこりともしなかったのが印象に残っている。1
とすこしの男の子がいた。

こうしてマイクル一家とのお付き合いが始まった。スーチーは高校までの教育は国内のミッション・スクー
ルで受けたが、イギリスでの後見人が見つかったので、母親は、彼女をオックスフォードに留学させた。外
国、特に英国嫌いの風潮のミャンマーで、なぜ母親が彼女と彼女の兄に英国で教育を受けさせたかについて
は知る由もない。彼女は大学卒業後、ロンドン大学アジア・アフリカ研究所の研究助手になり、69年から71
年までは国連の当時のビルマ人事務総長・ウ・タント博士の下で書記官補として働いたこともある。私が滞
在していた74年から76年のあいだ、スーと私は普通の主婦同士のように、普通に付き合った。その当時は英
国では東洋人は少なかったから、東洋人と英国人の感情表現の違いに疎外感を感じていた2人が、お互い東
洋人ということで、ほっとしたということだったのだと思う。「東洋人同士だと、何も言わなくても通じ合え
るんだな」と思った。どちらも学者の家庭で、貧乏で、境遇も似ていた。特に日本人の場合、当時の英国では
まだまだ敵国人として反日感情をあらわにされる場面が多かった。

国の歴史と国名
ここで少しミャンマーという国について紹介したい。ミャンマー連邦共和国、通称ミャンマーは、東南アジ
アに位置する共和制国家。1989年までの名称はビルマ。人口は約5千万。多民族国家で、135の少数民族で構
成されている。ビルマ族(60)は国の中央部に、それ以外の少数民族は国の周辺部に住んでいる。皮肉なこ
とに、豊富な資源は全部周辺部にある。公用語はビルマ語。

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年にビルマ族が中国の南詔あたりから今のミャンマーの中央あたりに侵入してきて、バガン王朝を樹立
し、ビルマを統一する。しかし13世紀にモンゴルの侵攻を受け、バガン王朝は滅びる。そのあと、ビルマ歴
代王朝は攻防を繰り返しながら、一応は王朝文化を築いてきた。しかし、1600年からインドを植民地として
支配し、マレーシア等の他の植民地への食料補給に苦慮したイギリスは、色々な理由でビルマ侵攻を試み、
1824
26年の第1次対緬戦争で、ラカイン地区とタニンダーリ地区を占領。1852年の第2次台緬戦争で、下
ビルマ一帯を英領に編入して、ラングーンを港湾都市に作り直し、イラワジデルタ地区に、灌漑工事を施し
2毛作、3毛作の出来る米生産基地に変える。上ビルマでは、ビルマ最後の王朝コンバイン王朝のティボー
王の時、フランスと通商貿易協定を結ぶが、フランスに接近するのを恐れたイギリスは、1885年に第3次対
緬戦争を一方的に仕掛け、王朝を倒し、王一族をインドに追放してビルマを植民地とする。

「ミャンマー」、「ビルマ」という国の呼び名について言えば、「ビルマ」は、やや口語体。「ミャンマー」
は、文語体で、すこし範囲が狭い。1989年に軍事政権がミャンマーに改称した。軍事政権の変更を認めない
アウンサンスーチーやビルマ連邦国民連合政府のほか、アメリカ合州国、イギリス、オーストラリアなどは
「ビルマ」、EUは両方併記、日本、インド、ドイツは「ミャンマー」を使用している。

抵抗運動とアウンサン将軍
1930
年代に入り、ビルマのインテリ学生が反イギリスデモを行うようになり、ラングーン大学の学生の頃か
ら、アウンサンは学生運動を組織し、反英の旗手として活躍する。独立を願う青年の代表として、当時の中
国共産主義運動に援助を求めるべく、密出国したが、途中で日本軍に捕らえられ、日本に送られる。1942
、アウンサンは30名の同士と日本軍に守られラングーンに上陸し、イギリス軍を駆逐した。それゆえ、アウ
ンサンはビルマの悲願、独立の父だった。その後、独立を約束しながら、ビルマの資源を狙う日本陸軍は、
傀儡政権を打ち立て、ビルマを完全に独立させず、45年の敗戦まで居座った。日本軍の敗色が濃厚と見るや
1944年にアウンサンは同志たちと日本軍への反撃に出て勝利した。2つの帝国主義者から勝利を勝ち取っ
たことで、英雄となったアウンサンは、1947年に政敵の放った刺客によって暗殺され、独立前に倒れたが、
それゆえにこそ、悲劇の英雄として人々が今も崇めるのである。ビルマは1948年にイギリス連邦を離脱して
ビルマ連邦として独立する。

198586年のアウンサンスーチーの京都滞在
1985
年にスーは日本学術振興会からお金が出て、日本に来ることになった。京都大学の東南アジア研究セン
ターの横山先生が尽力されて、8歳になる次男を連れて、修学院のInternational Houseに住んだ。父親のア
ウンサンの資料はたくさんセンターに残っていて、スーはその資料の勉強をしていた。京都がアウンサン将
軍に与えた影響に関する彼女の著書も出版されている。彼女自身は、ビルマ人が憎んでいるイギリス人と結
婚してイギリスに住んでいるということで、ビルマ人たちが自分のことをどう思っているのか分からない気
持ちがあったが、京都に来て、父親の資料を読む内に、アウンサンを知っている多くの日本人や、またビル
マの大衆の尊敬の念が今になっても変わらないことを、だんだん真剣に考えるようになった。

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年に彼女が帰国する時、私は彼女に、「あなたはビルマに帰るべきだと思う。今のままだと“お茶の間の
ヒロイン”にしか過ぎない。帰ってお父さんの意志を継いで、ビルマのために尽くすべきだと思う。」と言っ
たら、彼女は黙って下を向いたままだった。きっと何か心に響くものがあったのだと思う。

ビルマに帰国後の軟禁状態
1986
年に日本から帰国したあと、1988年に母親が脳梗塞で倒れたとの知らせで、彼女はビルマに帰って母親
の看病をすることになる。政治的には、選挙が行われるということで、民主化指導者アウンサンスーチーら
は国民民主連盟(NLD)を結成するが、彼女は選挙前の1989年に自宅軟禁された。以降、彼女は長期軟禁と解
放の繰り返しを経験することになる。しかし軍事主導の政治体制の改革が、新首相のテイン・セインの下で
開始され、民主化が一歩一歩と計られるようになる。200811月に政府はアウンサンスーチーは軟禁期限を
迎えると発表して、13日に軟禁状態が解除される。拘束・軟禁は1989年から計15回に及んだ。

その間に彼女の夫が1999年に癌のため死去した。彼女は軟禁中で電話もかけられない。軍政府は一時出国を
認めたが、彼女の存在が邪魔な政府は、彼女が出国したら最後帰国出来ないようにするのは目に見えていた
ので、彼女は出国せず、夫の死に目には会えなかった。私は、ほとんど毎年イギリスを訪れて、彼女の2
の子供について色々気をくばり、マイクルの病気の看病をし、死に立会い、お葬式の面倒もみた。

2013
4月の京都訪問
今年の4月、日本政府の招待でアウンサンスーチーは日本にやって来た。京都では、彼女が1985年来日の折
に、一家で泊まった私の大津の家に来たいということで、忙しいスケジュールのなか、泊まってもらった。
昔マイクルと子供と一緒に来た時の写真があったので、新聞社に渡したら、それが載った。満開の桜の木の
側で写真を撮った時は、柔らかな優しい微笑を浮かべていた。嵐山
では、私の夫の計画で、小水力発電機の視察を入れてもらった。嵐
山の渡月橋のところにある小水力発電機は、あのあたりの夜の街灯
の電力を提供していて、残った電気は電力会社に売っている。ミャ
ンマーの農村は80%が電気が来ていない。このような簡略な小水力
発電機があれば、すこしでも夜の明かりが提供できるのではないか。
スーはその資料をじっと見ていた。


ミャンマーの問題はあまりにも複雑で、スー一人ではどうにもならないかもしれない。スーの最近の本の題
は、Freedom from Fear (恐怖からの解放)である。その中でスーは書いている。――世界人権宣言には、「人
は何人も恐怖から自由になる権利がある」と書かれている。何世紀もの圧政の間、ミャンマーの人の心には権
力側に対する恐怖が染み付いている。その連鎖を断ち切る政治をすることが、一番大切ではないか。自由に
なるには、自分に対する責任も自ずから伴ってくる。私が主張する民主主義を分かろうとするための参加が
必要である、と。ミャンマーは小乗仏教の国で、国民は、仏陀や偉いお坊さんに帰依して、施しをすること
で救われると思っている。しかしこれだけでは十分ではないとスーは言い続けているのである。

しかし今やっと国民はスーの方に向いていると思う。彼女が外国の要人と会えば、いろいろな恩恵がミャン
マーにもたらされる。「彼女は、水道の蛇口と一緒。彼女の首をひねれば、外国からジャーとお金が出てくる
」という人もいる。しかし、彼女はそれを知った上で、その仕事をしていると思う。彼女はなにより清潔。朝
4
時に起きて、1時間体操をして、瞑想をする。正しい思想を実行に移す、ガンジーのような人だと思う。

                                  
☆  ☆  ☆  ☆  ☆

講演の後、お茶を飲みながら、スーチーさん一家と大津さんご夫妻との交流の歴史がよく分かる貴重な写真
をたくさん見せて頂いた。時間の都合で質問が出来なかったのが残念だったが、今話題のアウンサンスーチ
ーさんのお話なので、大津さんのお話の内容は非常に興味深いものがあった。自宅軟禁と言っても、家から
出られない時もあったとか。規則正しく、朝4時に起きて、体操、瞑想、という日課を、10年に及ぶ長期間
続ける意志の強さには、ただ頭が下がる。憲法の規定では、外国人と結婚している人は大統領に立候補する
資格がないとなっているそうだが、最近その憲法条項を変更しようという動きがあるとの新聞記事を読んだ
。タイとの国境付近には一大麻薬生産地がある。「政府が麻薬と切れない限り、ビルマに本当の民主主義は来
ない」と聞くと、闇がどれだけ深いかが想像できる。そういう問題が、スーチーさんの清潔さと強さで、少し
でも良い方に向かわないだろうか、と思う。おそらく次のミャンマーの政治を担うであろうアウンサンスー
チーさんの素顔を知る唯一の日本人女性として、大津さんのスーチーさんに対する姉のような愛情にあふれ
たお話に、皆さんが引き込まれるように聞き入った2時間だった。

                                   
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講演会終了後、支部長から,京都支部から12名が参加した本部総会の報告があった。

2回 大学女性協会定時会員総会の報告
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19日(日)午前930~11時、名鉄グランドホテルで開催された。名古屋支部長から「1年がかりで
総会の準備をした。予想以上の総数143名の参加者を得てうれしい。3日目の研修旅行(伊勢神宮等)には70
名余の参加がある」と元気な歓迎挨拶があった。

阿部会長から「新法人化後1年を経過した。公益目的のために今年度も意欲的に取り組んでいきたい。この間
、新リーフレットの作成、会のロゴマークのリニューアル化、会報のA4版化、内容も刷新する。HPも充実す
る。会員拡大に努めたい」旨の挨拶があった。

議事は、議長阿部会長のもと進行し、会計報告、新理事の1名増、新理事1名(神奈川支部 穐田信子氏CIR
)選任、賛助会員の改正(会費年一口3,000円)がすべて承認された。 報告事項として、平成24年度事業
報告.公益目的支出計画実施報告、監査報告、平成25年度事業計画及び予算が報告された。議事は特に質問
もなく終了した。

緊急動議として、群馬支部等からJAUW として、維新の会共同代表橋下大阪市長発言に抗議してはどうかの
提案があり一同賛成。文案は理事会に委任。本件についてはIFUWにも報告することについても決定。

○総会の後(1115~1200過ぎ)、昨年11月、第67回国連総会第3委員会に政府委員として出席された鷲
見八重子氏(神奈川支部)から大変充実した内容の報告があった。
○午後は15委員会の各委員長と24支部の支部長から現状報告があった。
各支部の共通課題は、会員の減少、高齢化。活動状況は様々。静岡支部は異文化交流事業を継続し県からも
助成金が出ている。岡山支部は29回目の外国人弁論大会を開催した。
○事務連絡 *東日本大震災被災高校生奨学資金への寄付をお願いする。
*今年度 全国セミナー1026~27日 岡山市、テーマは「男女共同参社会の形成と教育」報告支部を募
集中。
*次年度総会   201451718日、会場は東京都市センターホテル
○支部長会 518日午後300500  出席 各支部長ほか本部役員計36
各支部会報の情報交換、配布。大分、札幌、群馬、福岡、東京、京都。
○国内NGO委員会(五十嵐委員長)の招集で18日懇親会の後、会合。本部、平野,城倉、丸山、13支部長。
昨年の地方議会女性議員アンケートに続き、今年度は男性議員に実施。その詳細についての打ち合わせ。女
性議員アンケート報告は,今秋の全国セミナーで発表。
○近著紹介『クオータ制に実現をめざす』赤松良子監修、WIN WIN編著(パド・ウイメンズ・オフィス)