第1回例会講演要旨「アメリカ合衆国の先住民:その歴史と現在」
          講師:野口久美子 同志社大学アメリカ研究所助教    2012616



 
「現在のアメリカ合衆国を含む南北アメリカ大陸には、西洋人がやってくる以前、文化的多様性をもつ先住民部族が居住
していた。一説によれば、15世紀当初、そこには30,000,000人が居住していたと言われている。現在の合衆国において「イ
ンディアン」もしくは「ネイティブ・アメリカン」などと呼ばれるこれら先住民人口は、19世紀初頭までに「滅び行く人々」といわ
れるほど激減するに至った。加えて、今日まで、先住民の貧困、健康問題、教育問題は、アメリカの大きな社会的課題の一
つとなってきた。先住民の犠牲において建国されたことは、正に、民主主義を掲げる合衆国の大きな「矛盾」として認識され
るべきであろう。一方、21世紀のアメリカ先住民社会を見渡せば、彼らが、その歴史的犠牲ゆえに、非常に特殊な政治的、
経済的地位を築き上げ、天然資源、カジノ経営などによる経済効果を伴いつつ、徐々に部族コミュニティーの発展を遂げて
いることが分かる。先住民社会は、ローカルな経済復興から、大統領選挙などナショナルな問題に至るまで、正に合衆国の
文化、社会、政治、経済に様々な影響力を持ってきていると言ってよいだろう。この講演では合衆国における先住民の歴史
的経験と現在の様子について、講演者の現地調査結果などもふまえつつ紹介していきたい。」(野口久美子さんの講演レジ
ュメから)

呼称について
 
まず呼称であるが、「ネイティブ・アメリカン(Native Americans)」という呼び方は比較的新しく、1970年以降のことで、彼ら
には違和感がある。それは、Japanese AmericansとかItalian Americansなどと呼ばれる他の移民たちと自分たちが同じよう
に聞こえる。自分たちはもともとここに住んでいたのだから、それらの移民と一緒にしないでほしい、ということで、「インディ
アン(Indians)」(コロンブスがアメリカ大陸をインドと勘違いして、そこに住む人たちに付けた呼称)のほうがまだましだとして、
自分たちをそう呼んでいる。また、ナバホ族等、それぞれの部族名で呼ぶこともある。日本では「インディアン」は差別用語
ではないかと聞く学生が多いので、私はネイティブ・アメリカン、日本語ではアメリカ先住民という呼称を使っている。アメリカ
ではアメリカ・インディアン、あるいはネイティブ・アメリカンが使われている。

「アメリカ先住民」とはどんな人たちか
 アメリカ先住民であるためには、次の3つの定義がある。
@合衆国政府が先住民部族と認定している部族から構成員と認められている人。
A合衆国政府が規定する先住民とは、4分の1以上のインディアンの血が入っている人。
Bアメリカは10年に1度、国勢調査を行うが、その時に、何の法的根拠も、所属する部族がなくても、自らインディアンと名
乗れば、インディアンと登録される。何の根拠もなくインディアンだと言う人はいないから、例えば、ひい、ひい、ひいおじいさ
んやおばあさんがインディアンで、自分にその血が入っていると思い、登録したい人は登録できる。

アメリカ先住民の歴史
 
1492年にコロンブスがアメリカ大陸をいわゆる“発見”する前は、今のアメリカ合衆国の土地に、500以上の部族がひし
めきあって暮らしていた。現在、ネイティブ・アメリカンの部族は566で、その人たちが居住している居留地(保留地)は322
あり、その総人口は1,000,000人で、全人口の0.2%。コロンブス以前の人口は、説がいくつもあって正確な数はまだ確定され
ていないが、当時から現在までの間に、統計では10分の1に減少したといわれている。現在の居留地の総面積は、アメリ
カ全土の0.3%。白人が来る前は国土の100%が先住民のものだったことを考えると、彼らが経験してきた迫害、侵略、略奪、
虐殺、植民地化、同化政策の歴史が、いかに過酷なものだったかがよく分かる。

 
1776年、北アメリカ東部の13の植民地がアメリカ合衆国として独立する。ヨーロッパからの移民にとって、東から西へ領
土を拡大していくことは「明白な運命(Manifest Destiny)」であって、自分たちのやっていることが、キリスト教的にも、文明的
にも「明白な運命」であるという理念をかかげて先住民に対して行動する。「土地を明け渡しなさい。そしてこの居留地に移
りなさい。そうすれば、その代わりに合衆国政府は、その居留地(保留地)の中に住む人たちに食料を保証し、毎年保証金
を出し、かつその領土内に今後一切ヨーロッパ人移民が進入していくことを武力でもって制していくことを約束します」という
条約(Treaty)を部族ごとに結ぶ。この条約によって、コロンブス以前は全土にいた先住民が0.3%の土地に押し込まれ、人
口は10分の1に減少したのである。この条約をアメリカ合衆国は建国以来ずっと結び続けてきた。条約というのは国際法
上、国家と国家しか結べない。だから先住民にとってこれは自分たちが国家であることを主張する根拠になっている。

 
1800年後半からアメリカ合衆国は、北米に同じように植民地をもっていたスペイン、フランスと戦ったり、また交渉したりし
て、徐々に今の大きさ・形の国になっていくが、その頃はすでに先住民をほとんど殺してしまっている。移民が増えるにつれ、
条約によって残った先住民を強制的に西に追いやる。その際、戦闘によってだけでなく、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病
(天然痘、コレラ、インフルエンザ、性病など)で殆どの先住民が死んだので、東部には居留地はあまりない。先住民は西部
にしかいなくなってしまった。ジョン・ウェイン監督の西部劇「アパッチ」などで描かれる、アメリカ・インディアンが白人の幌馬
車を銃で襲う場面などで、先住民=悪人という誤ったイメージが世界中に定着した。

 
このように、先住民は、先祖伝来の土地を追われ、伝統的な生活をすることはおろか、生きていくのも難しい土地に押し込
まれた。彼らは部族ごとに多様な文化をもっていたが、それらの歴史、音楽などが否定され、特に言語が禁止され、英語を
話すことを強要されるなど、徹底した同化政策が取られた時期もあった。貧困層の率は、黒人、ヒスパニック、アジア系のグ
ループと比較しても最も高かった。

 
このような状況から、アメリカ先住民はさまざまな問題をかかえるが、なかでも健康の問題は深刻である。死亡率第1位は
肥満、糖尿病だが、先祖からの土地を追われ、伝統的な食生活を続けられず、政府からの援助の食料は高カロリー、高脂
肪のもので、それが原因とされている。また、死亡率第3位は過剰飲酒だが、もともとアジアの血の入っている先住民はア
ルコールに弱い体質であるにもかかわらず、メキシコ、ヨーロッパから強い酒が入ってくるようになり、アルコール中毒患者
の数が増えている。また、居留地の自治とはいいながら、第2次世界大戦には兵士として駆り出された。一般のアメリカ人
帰還兵には色々な恩典があったが、先住民にはなかったので、貧しい居留地に帰るとそのギャップに苦しみ、後遺症でア
ル中になったり、うつ病にかかる若者も多かった。

1970年代以降の状況の好転
 
しかし、1970年代にヴェトナム戦争が泥沼化して、アメリカは建国以来はじめて自国の政策が正しいかどうか、と国民が
自己点検を始める。ヒッピー運動に始まり、色々な抗議活動が活発となる。公民権運動が起こり、弱者が政府に要求を突き
つけた時代である。合衆国政府は、第2次大戦後に増えてゆく移民の土地を確保するため、総人口の0.2%でしかないのに、
これだけの土地をもっているということで、条約にもかかわらず、居留地を削減していく。これに怒ったインディアンが1969
年、アルカトラズ島(マフィアのアル・カポネなど重大犯罪者がかつて収容されていた島。当時は無人島)を占拠して政府の
方針に抗議行動をおこす。これが発端となり、彼らの問題が初めて世界中に知れ渡る。アメリカの中ではこれが好意的に
受け止められて、さまざまな法律が施行され、全体の状況が好転し始める。1975年にはニクソン大統領の
Self-determination and Education Act(「インディアン自決・教育援助法」)が制定され、居住地の治外法権的な自治が認
められ、教育援助も保障された。

 
学問の世界でも同じような展開が見られる。クローバー博士は、1920年代にイシという狩猟・採集で生活している最後の
アメリカ・インディアンを発見して、それを博物館の中で生活させ、生きたまま展示した。イシはストレスと伝染病で2年後に
死亡するが、これはアメリカ・インディアン研究の汚点として残っている。1990年には「インディアン美術・工芸法、アメリカ
先住民墓地保護・返還法」が制定され、それまで美術館、博物館で展示されていた先住民の遺跡、遺骨、宝石などをインデ
ィアンに返還することが法律で決まった。現在、アメリカの博物館ではそのような展示物はない。

 研究者は先住民にとっては敵だった。居留地に入ってきて、写真を撮り、彼らのプライバシーを暴露し、研究者の経済活
動に利用しているということで、1920年代以降は、居留地のなかに研究者をなかなか入れないというかたくなな態度をとり
始めた。その教訓から、現在の研究者の立場は、写真を撮ることはなるべくやめて、見たこと、聴いたことを話したり論文に
することはあっても、人物の写真を入れたりするプライバシーの侵害は止めようというものである。

 
大学でも1970年代頃からアメリカ先住民研究が盛んになり、大学でNative American Studies(アメリカ先住民研究科)とい
う学科が設立される。インディアンについての本の99%は、ヨーロッパ人などインディアン以外の人によって書かれている。し
かし1970年代以降、 教育を受けられる先住民が増加し、自分たちのことを勉強しようとする先住民の研究者が増えてい
く。自分たちは西欧的な考え方とは違い、歌や民間伝承(folklore)などで歴史を語り継いできた。その視点から、自分たち民
族の文化を復活していこうという、いわゆる多文化主義の動きが中心になってきた。

21世紀のアメリカ先住民の状況
 今年、全国インディアン協会の全国大会で、その会長(チカゾー部族の酋長)が、自分たちはアメリカ・インディアンとして
大統領に何を要求するかを演説した。彼はこの演説の中で、4つの要求をしている。その中には、国家と国家(Nation to
Nation)の関係をアメリカ合衆国と作っていかなければならないとか、アメリカ合衆国政府は、できるだけ多くのインディアン
を採用すること、などが入っている。この最初の要求はどういうことなのだろうか。それは、部族が基本的には独立国家であ
るという主張を一番考えてくれる候補者に投票するから、そのためには、インディアン・ネイションとしての我々のところへ来
て選挙運動をしなさい、という意味なのである。オバマ大統領は、1期目の選挙活動の時、かなりの部族を回り、国家対国
家の関係を自分は認めると言って、国家としてできるだけ考えていくということを約束している。したがって、共和党のロムニ
ーより、民主党のオバマが先住民のなかでは優勢と思われている。

 なぜ、このように会長は強い発言ができたのだろうか。それにはアメリカ先住民の経済的な発展が考えられる。合衆国政
府は1970年代から1980年代にかけて、部族の経済的な発展と自立を促すため、カジノ産業への参入を促進した。それ
によって多くの部族が参入し、現在、巨大な資金をもとに、大統領選挙では、カジノを経営している部族のロビー活動が活
発だし、州への発言権も大きい。また、農業、産業に適さない不毛の土地に追いやられた、と思われていたその土地から貴
重な鉱物資源がでることがわかり、経済的に潤っている部族もある。

 
しかし、ウランの問題では、ナバホ族の土地で核実験が行われ、半日車で走っても、車1台に出会うのがやっとというよう
な広大な土地の中でも、人々が後遺症に苦しんでいたり、産業廃棄物処理を引き受けている部族も同じような深刻な健康
被害の問題をかかえている、など、発展にともなう負の遺産も深刻である。

 
しかし、いろいろな問題を抱えながらも、全国的に存在感が増している先住民の運命が、今後より良い方向に向かえばい
いと思っている。

                                      
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 
質問はいくつかあった。@インディアンの血を4分の1持っているのがインディアンと認められるというが、今後混血が進め
ば、先住民の数は減っていくのではないか、との質問に対しては、部族は一方では自治権をもっていて、血の割合を変更し
ているところがあり、チェロキー族では、368分の1を持っていればインディアンとみなす、としている。自分が研究している
部族は、保留地に住んでいる限りインディアンだとするゆるい条件である。だから、数が減り、淋しく「滅んでいく人びと」とい
うイメージではないと思う、との答えだった。

 
A「国家対国家の関係、と言っているが、内容的には、独立性の強い自治体ではないかと思うが・・・」という質問に対して
は、国家として成り立つ部分と、自治区として成り立つ部分がある。犯罪に関しては、州より部族の自治の方が強い。州は
関与できない。しかし殺人などの重大犯罪に関しては、連邦政府は関与できる。州と部族の争いになった場合、連邦政府
が合衆国憲法をもとに関与してくる。保留地の中は無税。州も連邦政府も税をかけられない。戸籍に関しては、部族が管理。
合衆国は一括して食料を渡す。メンバーシップについては、連邦政府から独立している。このようにレベルによって自治権
が変わるので、インディアン法は複雑である、というお返事だった。

 
B学校はどうなっているのか、との質問に対して、教育に関しては州が強い。合衆国は教育に関しては州権が強く、州単
位で行われる。教育基本法に基づいて、部族の子供は州立の学校に通う。カジノで成功している部族で、自分たちで学校
を作っているところもある、とのお返事だった。

                                      
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 
野口久美子さんは毎年何回かは現地調査のため、インディアン居留地を訪れるということで、スライドをたくさん見せて下
さいました。メールでやりとりをしていた時に、電波の届きにくいところに居たので返事がおそくなった、というメールをいただ
いたことがあり、どんな山奥で調査をしていらっしゃるのかと、興味がありました。日本ではアメリカ・インディアンの話題はあ
まり出ないので、彼らと合衆国政府との関係が条約に基づくものであるなど、初めて聴く話も多く、非常に興味深い講演でし
た。歴史は多くの場合、勝者の視点から書かれるものであるとはいえ、私たちの一般的なアメリカ史の知識が、勝者の側、
つまり白人の視点だけからのものだったことに、少なからず衝撃を受けました。

 
新進気鋭の研究者として、今後もますますご活躍なさることを祈りつつ、また当支部の非常に数少ないヤング・メンバーで
もいらっしゃるので、支部会員として活躍していただきたいということと、今後もまたお話が聴ける機会があることを望みなが
ら、閉会となりました。